萩の砂丘と夏みかん

萩の砂丘と夏みかんの写真

1億年前のマグマが生んだ白砂清松

1億年前のマグマが生んだ白砂清松の写真

山口県萩市の指月山は、約1億年前に地下の巨大なマグマが冷え固まって岩石(花こう岩)となり、長い年月をかけて地表に現れたもの。花こう岩が風化して砂となり、日本海側から吹く風がそれを運んで砂丘ができました。菊ヶ浜は、その一部です。

砂丘に築かれた城下町

江戸時代に阿武川の河口に築かれた萩城下町は、三角州の低湿地に田んぼ、標高が高い砂丘上に屋敷地が置かれました。これにより阿武川が氾濫しても田に水を逃がし、屋敷地の被害を最小限に抑えたのです。

古徳佐湖から流れ出した大量の水が運んだ土砂が堆積した「萩三角州」
砂丘に築かれた城下町のイメージ

武士を救った夏みかん

明治になって、職を失った武士たちが屋敷内で育てたのが萩の夏みかんです。海が近い砂丘上だったため、かんきつ類が好む水はけが良く暖かい環境にあり、栽培には好都合だったのです。

武士を救った夏みかんの写真01

萩城下町は、今もなお江戸時代当時の面影が残っており、風情ある古い町並みを散策すると土塀から黄色い夏みかんがのぞく光景や、初夏には爽やかな花の香りを楽しむことができます。夏みかんの実は、お酢(橙酢)や夏みかん菓子として加工され、萩のお土産物の定番として親しまれています。

武士を救った夏みかんの写真02